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漢方偉人伝 和田啓十郎(わだけいじゅうろう)
「西漢方薬店 漢方チャンネル」に「漢方偉人伝 和田啓十郎(わだけいじゅうろう)」を公開しました!
漢方医学を復活させた男。和田啓十郎が命を懸けて守り抜いた日本の伝統医療

今では当たり前のように処方されている漢方薬。
しかし実は、明治時代に国の政策によって消滅寸前まで追い込まれていたことをご存知でしょうか。
その危機に立ち向かい、日本漢方復興の礎を築いた一人の医師がいました。
その人物こそ、後に「日本漢方中興の祖」と称えられる和田啓十郎です。
今回は、日本漢方を現代へつないだ和田啓十郎の波乱の人生をご紹介します。

漢方との運命的な出会い
和田啓十郎は1872年、長野県松代の旧藩士の家に生まれました。
彼の人生を大きく変えたのは、幼い頃に目の当たりにした姉の病気でした。
姉は体がやせ細っているにもかかわらず、お腹だけが異常に膨らむ重い病気を患っていました。
当時の名だたる西洋医学の医師たちも治療法を見つけられず、回復は難しいと考えられていました。
そんな中、一人のみすぼらしい身なりの漢方医が現れます。
その漢方医は見事に姉の病を治し、家族を驚かせました。
この出来事は少年だった啓十郎に大きな衝撃を与え、医学の道を志すきっかけとなったのです。

西洋医学と漢方医学の両方を学ぶ
上京した啓十郎は、まず西洋医学を学ぶため済生学舎へ入学しました。

しかし、彼は西洋医学だけでは満足しませんでした。
漢方医学への情熱を持ち続け、無名の漢方医・多田民之助のもとへ住み込みで弟子入りします。
さらに神田の古書店で、江戸時代の名医・吉益東洞の著書と出会い、その実践的な医学思想に深く魅了されました。

漢方が否定された時代
当時の日本では、西洋医学が国家の正式な医学として採用され、漢方医学は急速に衰退していました。
1875年には医師免許試験が西洋医学のみとなり、漢方医を目指す道は事実上閉ざされます。
漢方医学は「非科学的」とされ、社会から姿を消そうとしていました。
そんな逆風の中でも、啓十郎は漢方の価値を信じ続けました。
日露戦争では軍医として従軍し、医師として経験を積みながら、漢方復興への思いをさらに強くしていきます。

『医界之鉄椎』が医学界に衝撃を与える
1910年、啓十郎は人生を懸けた一冊の本を出版します。
それが『医界之鉄椎』です。
出版費用は自ら家財を売って工面したと言われています。
この本の中で啓十郎は、病気だけを見る西洋医学を批判し、人間が本来持つ治る力を引き出す漢方医学の価値を力強く訴えました。

その中でも有名なのが、
「多くの犬が根拠なく吠える声より、一匹でも真実を吠える犬の声を聴きたい」
という言葉です。
少数派であっても真実を追い求めるという、彼の強い信念が込められています。

日本漢方復興の礎となった
啓十郎は1916年、45歳という若さでこの世を去りました。
しかし、その情熱はそこで終わりませんでした。
彼の思想は湯本求真へ受け継がれ、さらに大塚敬節へと引き継がれていきます。
この流れが戦後の日本漢方復興につながり、現在では医療用漢方製剤が保険診療で広く使用されるまでになりました。
現代の私たちが漢方治療を受けられる背景には、和田啓十郎が命を懸けて守り続けた情熱があったのです。

西漢方薬店ではオンラインでの漢方相談をおこなっております。
自分の症状にどのような漢方薬が合っているか、漢方の専門家にご相談ください。

この記事を書いた人

西漢方薬店 漢方処方アドバイザー
西 智彦(臨床歴20年)
鍼灸師、マッサージ師の国家資格と医薬品登録販売者の資格を持ち、学術発表症例発表実績として第24回経絡治療学会学術大会東京大会『肝虚寒証の症例腰痛症』等、また伝統漢方研究会会員論文集の学術論文からメディア取材まで幅広い実績もあります。
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