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漢方偉人伝 湯本求真(ゆもときゅうしん)

「西漢方薬店 漢方チャンネル」に「漢方偉人伝 湯本求真(ゆもときゅうしん)」を公開しました!

愛する娘を救えなかった悲劇が、日本漢方復興の原点となった。湯本求真の壮絶な生涯

もし一人の医師が、人生を変えるほどの悲劇を経験していなかったら、現在の日本の漢方医学は存在していなかったかもしれません。

明治時代、漢方医学は「時代遅れの医療」と見なされ、西洋医学への転換によって消滅寸前まで追い込まれていました。

そんな絶望的な時代に、日本漢方復興の中心となった人物がいます。

その名は、湯本求真。

西洋医学のエリートとして将来を期待されながら、自らの悲劇をきっかけに漢方医学へ人生を捧げた医師です。

今回は、日本漢方復興の立役者・湯本求真の生涯をご紹介します。

西洋医学のエリートとして歩み始める

湯本求真は、現在の金沢大学医学部の前身である医学専門学校を首席で卒業した秀才でした。

当時の日本では、西洋医学こそが近代医療の中心であり、漢方医学を学ぶ医師はほとんどいませんでした。

求真もまた、西洋医学の未来を担う若き医師として期待されていました。

しかし、その人生を大きく変える出来事が起こります。

愛する家族を救えなかった悲劇

地元で疫痢という感染症が流行します。

求真は最新の西洋医学を尽くして治療にあたりました。

しかし、その努力もむなしく、最愛の三歳の娘、さらに祖父母まで相次いで亡くしてしまいます。

医師でありながら、自分の家族を救うことができなかった。

その事実は、求真を深い絶望へと突き落としました。

あまりの悲しみに精神が錯乱するほど苦しみ、生きる希望さえ失いかけたと言われています。

一冊の本との運命的な出会い

絶望の中で求真が手にしたのが、和田啓十郎が著した『医界之鉄椎』でした。

この本には、西洋医学だけでは救えない患者が存在すること、そして漢方医学が持つ可能性が力強く記されていました。

求真は深く感銘を受け、和田啓十郎へ弟子入りを申し込みます。

ところが、二人は生涯一度も直接会うことはありませんでした。

師弟関係は、膨大な書簡のやり取りだけで築かれたのです。

手紙を通して学び続けたこの関係は、日本医学史の中でも非常に珍しいものとして知られています。

『皇漢医学』という歴史的名著

師の教えと、自らの臨床経験を積み重ねた求真は、漢方医学を猛烈な勢いで研究していきます。

その成果として誕生したのが『皇漢医学』です。

この書物は、古典医学を現代の医師にも理解しやすく整理した画期的な医学書であり、その後の日本漢方医学の方向性を決定づけた名著となりました。

現在でも多くの漢方医に読み継がれる重要な文献の一つです。

漢方医学を再び一つにまとめ上げる

当時の漢方医学界は、さまざまな流派が存在し、互いに対立することも少なくありませんでした。

求真は、その対立を乗り越え、漢方医たちをまとめ上げることにも尽力します。

そして、日本漢方医学会の設立に大きく貢献し、日本漢方復興の中心人物となりました。

また、西洋医学を深く理解していたからこそ、伝統だけに縛られない柔軟な発想も持ち合わせていました。

必要と判断すれば、従来の常識を超える量の生薬を用いるなど、患者を救うために最善の方法を追求した臨床家でもあったのです。

深い悲しみが未来の医療を変えた

愛する娘を救えなかった悲しみ。

その絶望があったからこそ、湯本求真は漢方医学の可能性を信じ、生涯をかけて研究を続けました。

その情熱は、日本漢方復興という大きな成果につながり、現在の私たちが漢方治療を受けられる礎となっています。

もし湯本求真が立ち上がらなければ、日本の漢方医学は今日とはまったく違う姿になっていたのかもしれません。

西漢方薬店ではオンラインでの漢方相談をおこなっております。

自分の症状にどのような漢方薬が合っているか、漢方の専門家にご相談ください。

この記事を書いた人

西漢方薬店 漢方処方アドバイザー 西 智彦(臨床歴20年)

西漢方薬店 漢方処方アドバイザー 
西 智彦(臨床歴20年)

鍼灸師、マッサージ師の国家資格と医薬品登録販売者の資格を持ち、学術発表症例発表実績として第24回経絡治療学会学術大会東京大会『肝虚寒証の症例腰痛症』等、また伝統漢方研究会会員論文集の学術論文からメディア取材まで幅広い実績もあります。
どうぞお一人で悩まずに、気軽にご相談ください。

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