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漢方偉人伝 何欽吉(かきんきつ)
「西漢方薬店 漢方チャンネル」に「漢方偉人伝 何欽吉(かきんきつ)」を公開しました!
【江戸初期の医師】中国から日本へ渡り「和人参」を発見した医学者・何欽吉
江戸時代初期、戦乱を逃れて日本に渡来した一人の中国人医師がいました。
彼の名は何欽吉(か きんきつ)。中国・広東州の出身で、後に日本医学史に名を刻む人物です。

◆ 医師としての歩み
何欽吉は、自国での乱を避けて鹿児島県内之浦に渡来し、
のちに宮崎県都城市の唐人町に定住しました。
その地で領主の専属医師として仕え、
卓越した医術により多くの人々の治療にあたりました。
しかし、彼の功績はそれだけにとどまりません。
◆ 医術と薬草研究の両立
何欽吉は、医療の実践と並行して薬草研究にも情熱を注ぎました。
医薬や薬草に関する書物を著し、さらに多くの門人を育て上げました。
彼の知識は都城を中心に広まり、地域の医療水準の向上に大きく貢献しました。
◆ 「和人参」の発見という快挙
彼が残した最大の功績は、三股の山中で「和人参」を発見したことです。
この和人参は、当時中国から高価な薬として輸入されていた朝鮮人参と同様の薬効を持つとされ、
国産薬草の可能性を切り開く大発見でした。
江戸初期という時代にあって、この発見は日本の薬学・本草学における重要な転機となったのです。
◆ 現在に残る何欽吉の足跡
現在、都城市鷹尾一丁目の西墓地には、
彼の墓が宮崎県指定史跡として保存されています。
自然石の墓石には、
「業岐心恒居士何欽吉墓」
「大明広東潮州澄海県」
と刻まれ、彼の出身地と経歴を今に伝えています。
墓碑には、万治元年(1658年)9月29日没と記されており、
その功績は地元都城の文化財として大切に守られています。
◆ 医学を越えて文化を伝えた人物
何欽吉は、単に医学を伝えただけでなく、
異国の地で医療と教育を通じて地域社会に根ざした、
**「国境を越えた医の架け橋」**ともいえる存在でした。
彼の遺した精神は、今もなお日本の医療文化の中に息づいています。
西漢方薬店ではオンラインでの漢方相談をおこなっております。
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この記事を書いた人

西漢方薬店 漢方処方アドバイザー
西 智彦(臨床歴20年)
鍼灸師、マッサージ師の国家資格と医薬品登録販売者の資格を持ち、学術発表症例発表実績として第24回経絡治療学会学術大会東京大会『肝虚寒証の症例腰痛症』等、また伝統漢方研究会会員論文集の学術論文からメディア取材まで幅広い実績もあります。
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