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漢方偉人伝 張遂辰(ちょうすいしん)
「西漢方薬店 漢方チャンネル」に「漢方偉人伝 張遂辰(ちょうすいしん)」を公開しました!
【中国医学史】張遂辰 ― 『傷寒論』を守り抜いた奇才
明朝末期から清朝初期にかけて活躍した医師、張遂辰(ちょうすいしん)。
彼は「薬を投じて死者を蘇らせた」と称されるほどの名医であり、
『傷寒論』の原典を守り抜いた“旧論維護派”の代表として、
今なお中医学史に名を残しています。

◆ 幼少期から学問に秀でた才人
張遂辰は1589年、江西省に生まれ、後に浙江省杭州へ移住しました。
幼い頃から詩文に秀で、国子監に入学するほどの才気の持ち主でしたが、
明朝末期の混乱により官職を離れ、隠居生活の中で医学の道へと進みました。
◆ 『傷寒論』の原典を守った孤高の思想
当時の医師たちは、『傷寒論』を再編集して独自解釈を加える風潮がありました。
しかし張遂辰はそれに異を唱え、
**「原文の順序と意味を歪めてはならない」**という信念を貫きました。
彼の代表作『張卿子傷寒論』は、
成無己の注釈を基に諸家の学説を統合・補足しつつも、
原典尊重の精神を守り抜いた名著として高く評価されています。
この姿勢こそ、後に「旧論維護派」と呼ばれる潮流の中心となった理由です。
◆ 「銭塘三張」と呼ばれた医学の巨匠たち
張遂辰は教育者としても優れており、
弟子の張志聡と張錫駒に医学の全てを伝えました。
この三人はともに杭州の侶山堂で講学し、
多くの門弟を育てながら銭塘医派という独自の医学流派を形成。
その影響力は江南一帯に広がり、
臨床と理論の両面で中国医学の発展に大きく貢献しました。
◆ 名声を集めた“奇跡の医師”
史料によれば、張遂辰の臨床技術は群を抜いており、
「薬を投じて死者を蘇らせる」とまで称えられた逸話が残ります。
その名声は杭州中に広がり、
彼が住んでいた通りは後に「張卿子巷(ちょうけいしこう)」と呼ばれるようになりました。
彼の医術は単なる経験ではなく、
深い古典研究に基づいた理論的な治療であったことが、
後世の医家たちからも高く評価されています。
◆ 終わりに
張遂辰は、“改変より継承を尊ぶ”という姿勢を貫いた、まさに学問の守護者でした。
その思想は、時代が変わってもなお、中医学の根幹として受け継がれています。
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この記事を書いた人

西漢方薬店 漢方処方アドバイザー
西 智彦(臨床歴20年)
鍼灸師、マッサージ師の国家資格と医薬品登録販売者の資格を持ち、学術発表症例発表実績として第24回経絡治療学会学術大会東京大会『肝虚寒証の症例腰痛症』等、また伝統漢方研究会会員論文集の学術論文からメディア取材まで幅広い実績もあります。
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