電話でもお気軽にご相談ください 092-724-7061 営業時間9:00~20:00

お知らせ

漢方偉人伝 独立性易(どくりゅうしょうえき)

「西漢方薬店 漢方チャンネル」に「漢方偉人伝 独立性易(どくりゅうしょうえき)」を公開しました!

【文化と医の架け橋】独立性易 ― 書・医・芸を極めた江戸初期の中国僧

江戸時代初期、ひとりの中国僧が日本の文化と医学に多大な影響を与えました。
その名は 独立性易(どくりゅうしょうえき)
彼は禅僧でありながら、医術・書道・水墨画・篆刻のすべてに秀でた天才でした。


◆ 明の滅亡とともに渡日した“文化の継承者”

独立性易は明末清初の動乱を逃れ、1653年、長崎に到着しました。
故郷は中国浙江省杭州。幼少期から驚異的な記憶力を持ち、科挙を志すほどの秀才でしたが、
25歳で不運に見舞われ、官職の道を断念。西湖に隠棲し、詩や文学に親しむ日々を送りました。

1644年、明朝が滅亡。
祖国を離れた独立は、医者として生計を立てながら、偶然乗った船で日本へと渡ることになります。

長崎奉行の要請で日本に留まり、翌年、同郷の高僧 隠元隆琦 と再会。
彼の影響を受けて出家し、「独立性易」の名を名乗るようになりました。


◆ 江戸で将軍に謁見 ― 唐様書道の礎を築く

隠元とともに江戸へ上り、徳川家綱に謁見。
その場で書を披露すると、老中 松平信綱 から絶賛されました。

長崎に戻った独立は興福寺に住み、書法の指導を開始。
彼の書は明代の正統派であり、のちに日本で大流行する「唐様書道」の原型となりました。
今日でも、独立の書風は“日本書道史の転換点”と称されています。


◆ 篆刻・絵画・医学 ― 多才な文化人としての功績

独立性易は、明代の新しい篆刻技法を日本にもたらし、
日本篆刻の祖」と呼ばれています。

医術にも優れ、各地の大名や藩士を治療。
特に 岩国藩主・吉川広嘉 の診療で知られ、
その文化的交流の中で、独立が持参した書物『西湖遊覧志』が
あの 錦帯橋建設の着想源 となったという逸話も残っています。


◆ 江戸に息づく中国文化の精神

独立性易は1672年、長崎崇福寺で78歳の生涯を閉じました。
しかし彼の書・印・絵・医のすべては、日本文化に深く根を下ろし、
今もなお「明清文化の継承者」として尊敬されています。

彼の足跡は、医学と芸術が一体であった時代の象徴ともいえるでしょう。


👉 漢方薬は体質に合って、はじめて効果を発揮します。
西漢方薬店ではオンラインでの漢方相談を行っております。
自分の症状にどのような漢方薬が合っているか、専門家にご相談ください。

この記事を書いた人

西漢方薬店 漢方処方アドバイザー 西 智彦(臨床歴20年)

西漢方薬店 漢方処方アドバイザー 
西 智彦(臨床歴20年)

鍼灸師、マッサージ師の国家資格と医薬品登録販売者の資格を持ち、学術発表症例発表実績として第24回経絡治療学会学術大会東京大会『肝虚寒証の症例腰痛症』等、また伝統漢方研究会会員論文集の学術論文からメディア取材まで幅広い実績もあります。
どうぞお一人で悩まずに、気軽にご相談ください。

この著者の記事一覧へ