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漢方偉人伝 傅山(ふざん)
「西漢方薬店 漢方チャンネル」に「漢方偉人伝 傅山(ふざん)」を公開しました!
傅山 ― 書・詩・医を極めた明末清初の巨人
書家・詩人・医者として生きた多才な人物
明朝末期から清朝初期にかけて活躍した傅山(ふざん、1607–1684)は、書道家、医者、詩人、画家として知られる多才な人物です。
山西省太原の官僚の家に生まれ、幼少期から厳格な教育を受けました。
15歳で科挙の童生試験に合格し、20歳で廪生(りんせい)となり、31歳の時には恩師の冤罪を晴らして名声を高めました。
しかし、明の滅亡後は清朝への出仕を拒み、隠遁の道を選びました。
傅山の人生は、学問と信念に生きた独立不羈の精神を象徴しています。

「拙を好み巧を嫌う」書の美学
書家としての傅山は、「清初第一の書家」と称されます。
彼の書は力強く、時に粗野とも評されますが、その中に深い精神性が宿ります。
傅山は「拙を好み巧を嫌い、醜を好み媚を嫌う」という独自の書道観を掲げ、技巧よりも人間の本質と精神を重視しました。
詩文においても形式主義を嫌い、復古的な文風を批判。
真の創造性と内面の誠実さを追求する姿勢を生涯貫きました。
妻を失った悲しみが導いた婦人科医学の研究
医学の分野では、特に婦人科で革新的な成果を残しました。
26歳の時、最愛の妻が山での散策中に転倒し、その後吐血して亡くなったという悲しい出来事がありました。
傅山はこの経験から深い悔恨の念を抱き、以後は独身を貫き、女性の身体と生命を守るための医学研究に身を捧げました。
生化湯の創案とその後の影響
傅山が創案した「生化湯(しょうかとう)」は、産後の血虚・瘀血を調整し、回復を助ける漢方薬として現在でも広く用いられています。
この方剤には、彼の深い人間愛と、妻への鎮魂の思いが込められているとも言われています。
傅山の医学は、単なる技術の探求にとどまらず、「人を救うこととは何か」を自問し続けた生涯の結晶でした。
一つの青い峰のように
傅山の生涯は、芸術・思想・医学のすべてを貫く「真の学問」と「深い人間愛」に満ちていました。
その存在は、まるで静かに天にそびえる青い峰のように、今も多くの人の心に残り続けています。
西漢方薬店ではオンラインでの漢方相談をおこなっております。
自分の症状にどのような漢方薬が合っているか漢方の専門家にご相談ください。

この記事を書いた人

西漢方薬店 漢方処方アドバイザー
西 智彦(臨床歴20年)
鍼灸師、マッサージ師の国家資格と医薬品登録販売者の資格を持ち、学術発表症例発表実績として第24回経絡治療学会学術大会東京大会『肝虚寒証の症例腰痛症』等、また伝統漢方研究会会員論文集の学術論文からメディア取材まで幅広い実績もあります。
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