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漢方偉人伝 徳来(とこらい)
「西漢方薬店 漢方チャンネル」に「漢方偉人伝 徳来(とこらい)」を公開しました!
日本最初の“プロの医者”は海外から来た――徳来と難波薬師の物語
日本で最初の「プロの医者」が、実は海外からやって来た人物だった――。
そう聞くと、少し意外に感じるかもしれません。

5世紀、百済から渡来したとされる徳来(とこらい)は、
日本の医療の歴史に大きな転換をもたらした人物として語り継がれています。
今回は、徳来とその一族「難波薬師」が築いた、
日本医療の原点について解説します。

呪術から医術へ――医療の大きな転換点
徳来が来日する以前、日本では病の原因は
- 悪霊
- 祟り
- 見えない存在の影響
と考えられていました。
そのため治療の中心は、
- 祈祷
- 呪術
- まじない
といった方法が主流だったのです。
しかし徳来は、そこにまったく異なる視点をもたらしました。
それが、体に直接作用させる「治療」という考え方です。

「処方」という概念の導入
徳来が伝えた最も大きな革新は、
生薬を組み合わせて治療する「処方」の概念でした。
植物や鉱物を用いた薬を、
- 体質
- 症状
- 状態
に合わせて組み合わせることで、
体の内側から働きかけるという方法です。
これは当時の日本にとって、
それまでの祈祷中心の医療とは大きく異なる、
実践的で再現性のある治療法でした。
この流れが、日本における
体系的な医療のはじまりにつながっていきます。

難波薬師という医療一族の誕生
徳来の功績は一代で終わりませんでした。
その子孫たちは、現在の大阪・難波を拠点に、
代々医療の知識と技術を受け継いでいきます。
こうして誕生したのが、
「難波薬師」と呼ばれる医療一族です。

彼らは単に薬を扱うだけでなく、
- 脈を診る診断技術
- 病の状態を見極める知識
- 実践的な治療経験
といった高度な医療ノウハウを蓄積していきました。

聖徳太子の医療政策を支えた存在
飛鳥時代に入ると、日本はさらに医療制度の整備を進めていきます。
その象徴が、聖徳太子による施薬院の設立です。

施薬院は、病人に薬を施す
日本初の公的な医療・福祉施設とされています。
この運営には、難波薬師のような
実務的な医療知識を持つ人々の存在が不可欠だったと考えられています。
つまり彼らは、単なる医師ではなく、
社会全体の医療を支える中核的存在でもあったのです。

医療制度の基礎を築いた功績
難波薬師の知識と技術は、その後さらに発展し、
やがて律令国家の中で制度として整えられていきます。
特に重要なのが、大宝律令に定められた「医疾令」です。
これは、
- 医師の役割
- 医療の仕組み
- 治療の体系
などを定めた、日本初の公的医療制度といえるものです。

難波薬師が積み重ねてきた医療の知見は、
この制度の基盤の一つになったと考えられています。
「薬の街・大阪」のルーツ
現在でも大阪は「薬の街」として知られています。
道修町をはじめとする薬業の発展は、江戸時代以降に大きく花開きますが、
その背景には、
- 外来の医療を受け入れてきた歴史
- 医療知識を蓄積してきた土壌
がありました。
その源流をたどると、
徳来や難波薬師の存在に行き着くともいえるでしょう。

まとめ
徳来は、5世紀に百済から渡来し、
日本に「処方」という医療の概念をもたらしたとされる人物です。
そしてその子孫である難波薬師は、
- 医療技術を体系化し
- 社会に広げ
- 制度の基礎を築いた
存在として、日本の医療史に大きな足跡を残しました。
日本の医療は、決して一つの文化の中だけで生まれたものではなく、
海を越えた知恵の融合によって形づくられてきたものです。
徳来の物語は、その原点を静かに伝えてくれています。

西漢方薬店ではオンラインでの漢方相談をおこなっております。
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この記事を書いた人

西漢方薬店 漢方処方アドバイザー
西 智彦(臨床歴20年)
鍼灸師、マッサージ師の国家資格と医薬品登録販売者の資格を持ち、学術発表症例発表実績として第24回経絡治療学会学術大会東京大会『肝虚寒証の症例腰痛症』等、また伝統漢方研究会会員論文集の学術論文からメディア取材まで幅広い実績もあります。
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