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漢方偉人伝 馬島清眼(まじませいがん)
「西漢方薬店 漢方チャンネル」に「漢方偉人伝 馬島清眼(まじませいがん)」を公開しました!
700年前に白内障手術を行った僧医――馬島清眼と日本眼科医学の始まり
今から約700年前、日本にはすでに白内障の手術を行う医師たちが存在していました。
その中心人物が、日本眼科医学の礎を築いた
馬島清眼です。
今回は、驚くべき技術を持っていた僧医・馬島清眼と、日本最古の眼科流派について解説します。

武士から僧医となった清眼
馬島清眼は、もともと武士の家系に生まれました。
しかし後に出家し、医術の道へ進みます。
彼が築いたのが、日本最古の眼科流派とされる
「馬島流」です。

この流派は全国へ広がり、日本の眼科医療の発展に大きな影響を与えました。
白内障に対する高度な手術
馬島流で特に有名だったのが、白内障の治療です。
当時行われていたのは、
「墜下法(ついかほう)」
と呼ばれる手術でした。
これは、
- 細い針を目に入れ
- 濁った水晶体を奥へ落とす
という高度な技術です。
現代のような設備がない時代に、このような眼科手術が行われていたことは非常に驚くべきことです。

珍しい生薬を用いた治療
治療には、多くの貴重な生薬も使用されていました。
例えば、
- 真珠
- 麝香(じゃこう)
などです。
さらに、
- 虎の胆
- 鹿の角
といった高価な素材も使われていました。
当時の医学では、こうした天然素材の力を活用しながら治療が行われていたのです。

「明眼院」の誕生
清眼たちの拠点となった寺院は、後に
「明眼院」という名を与えられます。
これは、後水尾天皇の皇女の眼病を治した功績によるものでした。
つまり、皇族からも高く評価されるほどの医療技術を持っていたということです。

江戸時代の巨大医療拠点へ
江戸時代になると、明眼院はさらに発展します。
多くの病棟が並ぶ、一大医療センターとして栄えたのです。
そこには、
- 画家の
円山応挙 - 国学者の
本居春庭
なども治療に訪れたと伝えられています。

明治時代と医療制度の変化
明治時代に入ると、僧侶による医療行為は禁止されます。
しかし、馬島流が築いた技術や知識は失われませんでした。
その精神と技術は、現代の眼科医療へと受け継がれていったのです。

現在も残る「明眼水」
現在も愛知県にある
明眼院には、多くの参拝者が訪れています。
境内には、
清眼が夢のお告げで見つけたとされる霊水
「明眼水」の井戸も残されています。
眼病平癒を願う場所として、今も信仰を集めているのです。

まとめ
馬島清眼は、
- 日本最古の眼科流派「馬島流」を築き
- 白内障手術を行い
- 日本眼科医学の発展に大きく貢献した人物
です。
700年前にここまで高度な医療が行われていたことは、日本医学史の大きな驚きと言えるでしょう。
その技術と精神は、時代を超えて現代医療にも受け継がれています。

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この記事を書いた人

西漢方薬店 漢方処方アドバイザー
西 智彦(臨床歴20年)
鍼灸師、マッサージ師の国家資格と医薬品登録販売者の資格を持ち、学術発表症例発表実績として第24回経絡治療学会学術大会東京大会『肝虚寒証の症例腰痛症』等、また伝統漢方研究会会員論文集の学術論文からメディア取材まで幅広い実績もあります。
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