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お知らせ

漢方偉人伝 尾台榕堂(おだい ようどう)

「西漢方薬店 漢方チャンネル」に「尾台榕堂(おだい ようどう)」を公開しました!

幕末の実践派名医――尾台榕堂の医学とは

幕末の江戸に、

理論よりも実際の治療効果を重視し、

患者と真正面から向き合い続けた名医がいました。

その人物が、

尾台榕堂

です。

彼は

浅田宗伯

と並び、

「幕末の二大名医」

と称された漢方医でした。

越後から江戸へ

榕堂は1799年、

現在の新潟県にあたる越後国の医家に生まれました。

16歳で江戸へ出て、

医師であった

尾台浅嶽

の養子となります。

そして養父の診療所と医学を受け継ぎ、

本格的に医師としての道を歩み始めました。

東洞流古方を生涯貫いた

榕堂が一生を通して学び続けたのが、

吉益東洞

が築いた

「東洞流古方」

でした。

万病一毒説を重視

東洞流古方の中心には、

「万病一毒説」

があります。

これは、

あらゆる病気は体内に停滞した一つの毒によって起こる

という考え方です。

そのため治療では、

病気の原因となる毒の存在を見極め、

それを取り除くことを目指しました。

腹診を重視した実践派

榕堂は患者の状態を把握するため、

特に腹診を重視しました。

お腹の緊張や圧痛を確認し、

病の状態を判断したのです。

理論より「証」を重視

当時の医学界では、

陰陽五行説などの理論が重視されることもありました。

しかし榕堂は、

そうした抽象的な理論よりも、

患者が実際に示している症状、

つまり

「証(しょう)」

を何よりも大切にしました。

古典から処方を選ぶ

榕堂は、

傷寒論

金匱要略

といった古典を深く研究していました。

患者の証を見極め、

古典に記された処方の中から最適なものを選び出していたのです。

浅田宗伯との違い

榕堂と人気を二分したのが、

浅田宗伯でした。

しかし二人の医学には大きな違いがありました。

宗伯は折衷派

宗伯は、

古方だけでなく後世方や新しい理論も積極的に取り入れる

「折衷派」

として知られていました。

榕堂は古方一筋

一方の榕堂は、

古典処方を中心に据えた

生粋の古方派でした。

患者の症状を見極め、

古典処方で治療することを徹底したのです。

『類聚方広義』を著した

榕堂は優れた臨床医であるだけでなく、

教育者・研究者としても大きな功績を残しました。

その代表作が

類聚方広義

です。

現代も読み継がれる名著

この書物は、

古典処方の運用や応用を詳しく解説した名著として、

現在でも多くの漢方家に読まれています。

多くの弟子を育てた

江戸に開いた塾には、

全国から門下生が集まりました。

榕堂の実践的な医学は弟子たちへ受け継がれ、

明治以降の日本漢方医学の発展にも大きな影響を与えました。

現代漢方にも続く影響

尾台榕堂は、

理論よりも患者を重視し、

古典に基づいた実証的な医学を追求しました。

その姿勢は、

現代の漢方医療においても重要な考え方として受け継がれています。

目の前の患者をよく観察し、

症状に合わせて治療する。

その医学の原点を体現した人物こそ、

尾台榕堂だったのです。

西漢方薬店ではオンラインでの漢方相談をおこなっております。
自分の症状にどのような漢方薬が合っているか漢方の専門家にご相談ください。

この記事を書いた人

西漢方薬店 漢方処方アドバイザー 西 智彦(臨床歴20年)

西漢方薬店 漢方処方アドバイザー 
西 智彦(臨床歴20年)

鍼灸師、マッサージ師の国家資格と医薬品登録販売者の資格を持ち、学術発表症例発表実績として第24回経絡治療学会学術大会東京大会『肝虚寒証の症例腰痛症』等、また伝統漢方研究会会員論文集の学術論文からメディア取材まで幅広い実績もあります。
どうぞお一人で悩まずに、気軽にご相談ください。

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