お知らせ
漢方偉人伝 矢数道明(やかずどうめい)
「西漢方薬店 漢方チャンネル」に「漢方偉人伝 矢数道明(やかずどうめい)」を公開しました!
現代漢方復興の立役者・矢数道明。95歳まで診療を続けた伝説の漢方医
現在、病院で当たり前のように処方されている漢方薬。
その復興の裏には、生涯をかけて漢方医学の未来を切り拓いた一人の医師がいました。

その人物こそ、「現代漢方復興の父」とも称される矢数道明です。
95歳まで現役で診療を続けた彼は、漢方医学を現代医療へとよみがえらせた立役者でした。
今回は、その波乱に満ちた生涯をご紹介します。

苦難の青年時代から医学の道へ
矢数道明は1905年、茨城県に生まれました。
幼くして父を亡くしたため、家計を支えるために代用教員として働く日々を送ります。
しかし、医師であった兄の強い勧めを受け、医学の道を志すことを決意しました。
恩師のもとで西洋医学と漢方医学を深く学び、医師としての第一歩を踏み出します。

ところが、彼の前には大きな壁が立ちはだかっていました。
当時の漢方医学界は流派ごとの対立が激しく、さらに西洋医学の普及によって衰退の一途をたどっていたのです。

流派を超えて漢方を一つにした若き挑戦
この状況を変えるため、1935年、30歳という若さで矢数道明は大きな決断をします。
大塚敬節ら他流派の医師たちと力を合わせ、「偕行学苑」を設立したのです。
これは流派の違いを越えて互いの知識を学び合う、日本では前例のない取り組みでした。
対立ではなく協力によって漢方医学を発展させる。

この理念は、その後の日本漢方復興の大きな土台となっていきます。
日本だけでなく中国医学にも貢献
矢数道明の活動は、日本国内だけにとどまりませんでした。
中国にも渡り、中医学の保存と発展にも尽力します。
西洋医学・日本漢方・中医学。
それぞれを対立するものではなく、人を救うための医学として互いに学び合うべきだと考えていました。
その広い視野は、東アジア全体の伝統医学の発展にも大きな影響を与えました。

日本東洋医学会を創設
戦後の1950年、矢数道明は同志たちとともに現在の日本東洋医学会を創設します。
そして漢方復興のため、次の4つの目標を掲げました。
・日本医学会への加盟
・漢方診療科の標榜
・国立東洋医学研究所の設立
・統一教科書の制定
長年にわたる粘り強い活動の結果、日本医学会への加盟と漢方診療科の標榜という二つの大きな目標は実現しました。
現在、病院で漢方診療が広く行われている背景には、こうした先人たちの努力があります。

「人を救うこと」が医学の原点
矢数道明が生涯貫いた信念は、「活物窮理(かつぶつきゅうり)」という言葉に表れています。
これは、
「人間を生かすことこそ、医学の究極の目的である」
という考え方です。
彼は西洋医学も中医学も日本漢方も、それぞれの長所を取り入れながら、人を救うために発展すべきだと考えていました。
医学に流派の違いはあっても、目指す目的は一つ。
その信念が、彼のすべての活動を支えていました。

最後まで訴え続けた「協力」の大切さ
漢方が再び社会に認められるようになる一方で、晩年の矢数道明は新たな問題を憂えていました。
復興とともに、再び流派間の対立が生まれ始めていたのです。
彼は最後まで、
「どの流派にも素晴らしい先生がいる。」
「互いに協力しなければ、漢方はいずれ再び衰退してしまう。」
と語り続けました。
95歳まで診療を続け、最後の最後まで漢方医学の未来を案じ続けた矢数道明。
現在、日本で当たり前のように漢方薬が処方されている背景には、流派を超えて人を救うことを追い求めた、彼の情熱と信念が息づいているのです。
西漢方薬店ではオンラインでの漢方相談をおこなっております。
自分の症状にどのような漢方薬が合っているか、漢方の専門家にご相談ください。

この記事を書いた人

西漢方薬店 漢方処方アドバイザー
西 智彦(臨床歴20年)
鍼灸師、マッサージ師の国家資格と医薬品登録販売者の資格を持ち、学術発表症例発表実績として第24回経絡治療学会学術大会東京大会『肝虚寒証の症例腰痛症』等、また伝統漢方研究会会員論文集の学術論文からメディア取材まで幅広い実績もあります。
どうぞお一人で悩まずに、気軽にご相談ください。


