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漢方偉人伝 楼英(ろうえい)
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【明代の名医】楼英──10歳で診察、皇帝に呼ばれた「神仙太公」

幼くして才能を発揮した天才少年
明代初期、浙江省蕭山に生まれた楼英(ろうえい)は、中国医学史に名を残す名医の一人です。
彼は1332年生まれで、三代にわたる医学の家系に育ちました。
10歳にして村人の診察を行うほどの聡明さを持ち、早くからその才能が開花していたと伝えられています。
古典に学び、同時代の名医と切磋琢磨
楼英は『黄帝内経』をはじめとする医学古典を徹底的に研究。
さらに、同時代の名医**戴思恭(たいしきょう)**とも交流を持ち、実践的な医術を深めていきました。
彼の治療姿勢は実に誠実で、貧しい患者からは一文も受け取らなかったといいます。
独自の診断法と「神仙太公」の異名
楼英は陰陽五行説に基づき、
「血気」「表裏」「上下」「臓腑」といった観点から患者を多面的に分析する独自の診断法を確立しました。
その高い医術により、民間では「神仙太公」の異名で呼ばれ、
雲南や貴州といった遠方まで治療に赴いたと記録されています。
宮廷医師に召されるも、名誉より故郷を選ぶ
洪武帝・朱元璋が病に倒れた際、
楼英はその治療のために太医院(宮廷の医療機関)に召され、皇帝の主治医を務めました。
しかし彼は高位にとどまることを望まず、
老齢を理由に職を辞し、故郷の蕭山に戻ったといいます。
『医学綱目』──後世に多大な影響を与えた集大成
楼英の最大の功績は、『医学綱目』全40巻の編纂です。
この書物は、なんと30年の歳月をかけて完成された労作であり、
後の名著李時珍の『本草綱目』にも大きな影響を与えました。
さらに彼は医学だけでなく、天文・地理・易経にも通じ、多くの著作を残しています。
現代にも通じる、誠実な医療の精神
1401年、69歳で逝去した楼英は、
その生涯を通じて、実力と人徳を兼ね備えた名医として中国医学史に名を刻みました。
現代の私たちも彼の姿勢から、患者をよく診て、よく聴くことの大切さを学ぶことができます。
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この記事を書いた人

西漢方薬店 漢方処方アドバイザー
西 智彦(臨床歴20年)
鍼灸師、マッサージ師の国家資格と医薬品登録販売者の資格を持ち、学術発表症例発表実績として第24回経絡治療学会学術大会東京大会『肝虚寒証の症例腰痛症』等、また伝統漢方研究会会員論文集の学術論文からメディア取材まで幅広い実績もあります。
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