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漢方偉人伝 戴思恭(たいしきょう)
「西漢方薬店 漢方チャンネル」に「漢方偉人伝 戴思恭(たいしきょう)」を公開しました!
【中医史の名医紹介】
皇帝三代に仕えた「仁義の人」——戴思恭の生涯とその功績
明代中国に、「仁義の人」として皇帝から称賛された伝説の名医がいました。
その名は戴思恭(たい しきょう)、字は原礼。
1324年、浙江省浦江に生まれた彼は、後に中医学界に大きな足跡を残すことになります。

朱丹溪に師事し、医術を極める
戴思恭は、**金元四大家の一人・朱丹溪(しゅ たんけい)**に師事し、丹溪学派の流れを受け継ぎながら医術を深めました。
その理論と実践のバランスのとれた技術は、やがて皇帝の耳にも届きます。
皇帝たちの信頼を集めた「神医」
洪武年間には、朝廷の御医として召され、彼の医術は瞬く間に高い評価を得ます。
● 燕王・朱棣(後の永楽帝)との逸話
他の医師が治せなかった腹痛を、朱棣の「生の芹が好き」という何気ない一言から原因を見抜き、
わずか一剤で完治させたと伝えられています。
● 晋王の病を「再発すれば命に関わる」と予見
病の深さを見抜いた慧眼は、後に的中することになります。
● 朱元璋との信頼関係
明太祖・朱元璋が病に倒れた際、怒りを買った他の医師たちが処罰される中で、
戴思恭だけは「汝は仁義の人だから恐れるな」と声をかけられたという逸話も残っています。
太医院の長官として、そして晩年へ
建文帝の代には**太医院院使(いわば国家主席医官)**に昇進。
さらに永楽帝の治世では二度も辞職を申し出るも、そのたびに朝廷から呼び戻され、
特別な礼遇をもって遇され続けました。
戴思恭の生き様が教えてくれるもの
戴思恭は単なる技術の医師ではなく、
仁義と誠実をもって人に接し、帝王すら敬意を払った希有な存在です。
1405年、82歳で故郷にて静かにその生涯を閉じましたが、
三代の皇帝に仕えながら信頼を貫いたその姿勢は、今も私たちに深い学びを与えてくれます。
西漢方薬店より
当店では、このような歴史ある中医学の精神を現代にも受け継ぎ、
漢方薬による体質改善と根本治療を行っています。
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一人ひとりに寄り添ったご提案を行っておりますので、どうぞお気軽にご相談ください。

この記事を書いた人

西漢方薬店 漢方処方アドバイザー
西 智彦(臨床歴20年)
鍼灸師、マッサージ師の国家資格と医薬品登録販売者の資格を持ち、学術発表症例発表実績として第24回経絡治療学会学術大会東京大会『肝虚寒証の症例腰痛症』等、また伝統漢方研究会会員論文集の学術論文からメディア取材まで幅広い実績もあります。
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